タップダンスはアメリカで生まれた舞台芸術ですが、日本にも独自の発展の歴史があります。その中心に立ち、日本のタップダンス界を代表する存在となったのが 「中野ブラザーズ」 です。ここでは、日本のタップダンスの歴史と、中野ブラザーズの功績についてご紹介します。
日本のタップダンスの歴史
日本にタップダンスが紹介されたのは1920年代。当時NYでタップダンスを披露していたジョージ堀さんが後の松竹歌劇団の立ち上げでスカウトされました。アメリカ映画やレビューを通じて、その軽快なリズムと華やかな動きが人々の目を引きました。宝塚歌劇団やレビュー劇場ではダンスナンバーの一部として取り入れられ、徐々に広がっていきました。

日本のタップダンスの歴史 戦後
第二次世界大戦後はアメリカ文化が一気に流入し、ジャズ音楽や映画とともにタップダンスも再び注目されます。テレビや舞台のエンターテインメントにおいて、タップは人々を魅了する重要な要素となりました。
中野ブラザーズの登場
前述のジョージ堀さんのお弟子さん、吉田タケオさんに師事し、1950年代に登場した 中野ブラザーズ(中野章三さん・啓介さん) は、日本のタップダンス界に大きな革命をもたらしました。兄弟ならではの息の合ったステップ、スピード感のあるリズム、華やかな舞台姿は、多くの観客を魅了。レビューやテレビ番組で大活躍し、全国にタップの魅力を広めました。特にシンクロしたタップダンスは、彼らの代名詞として今なお語り継がれています。

後進への継承
中野ブラザーズはスターとしてだけでなく、後進の育成にも力を注ぎました。弟子や門下生に直接指導し、タップの技術はもちろん「舞台人としての心構え」「音を感じる大切さ」を伝え続けました。その精神は今もなお、多くのタップダンサーの中で生きています。
私自身と中野ブラザーズ
私もまた、その教えを受け継ぐひとりです。中野章三先生から直接学んだ「音を大切にする姿勢」や「観客に楽しさを届ける心」は、私のタップ人生の原点となっています。ANB Tap Dance Studioでは、その教えを次世代に伝えることを使命とし、誰もが楽しくリズムを刻める場をつくっています。中野章三と緒方文アカペラタップ

日本のタップダンスの歴史 現代
現在の日本のタップダンスは、舞台やショーだけでなく、教育や地域の文化活動の中にも広がっています。中野ブラザーズの功績を土台に、新しい表現が次々と生まれ、日本独自のタップシーンが成長を続けているのです。
日本のタップダンスの歴史を知ることで、ステップひとつひとつがより深く感じられるはずです。伝統を受け継ぎながら、自分のリズムを奏でてみませんか?
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